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毛髪の発生はバルジ領域

Nature 4 月25 日号 掲載論文要約の翻訳文
翻訳 古川修平

ニッチ論文

幹細胞の性質-自己複製能力と多能性
 人間をはじめとするすべての生物は、多数の細胞が集まってできあがっており、細胞は生物の最小構成単位であるといえます。人間の身体は、そのような細胞が200 種類以上、約60兆個も集まってできているとされています。

 これだけ膨大な数の細胞の集まりですが、元をただせば受精卵というたった1個の細胞が 「分裂」を繰り返してその数を増やす(=増殖)とともに、「分化」によって身体を形づくるさまざまな種類の細胞に変身・成長した結果です。

 このような多種多様な細胞の中に、「幹細胞」と呼ばれる親玉的な特殊な細胞が存在します。 幹細胞は、英語でstem cell と言いますが、stem は樹木の「幹」のことです。幹から多くの枝が分かれて一本の大きな木に成長するように、幹細胞も身体の組織や臓器を形づくるさまざまな種類の細胞に分化(=変身)します。このように、単にある特定の細胞に限定されずに、いろいろな種類の細胞に分化できる能力は「多能性」と呼ばれ、幹細胞は多能性を備えていることが大きな特色です。

 幹細胞は、分化によってそれぞれの形と役割を担った多種類の細胞に成長・成熟して行くのですが、この成熟細胞は分化を終えた細胞(=分化済みの細胞)であるのに対して、幹細胞は未分化状態の細胞(=未分化細胞)であるとも言われます。

 幹細胞のもう1つの大きな特色は、分裂したときに自分とまったく同じ性質・能力を持った細胞を次々に作り出すことができることです。いわば自分とそっくりの分身を生み出す能力で、これは「自己複製力」と呼ばれます。ある1個の幹細胞が衰えて能力を失って衰退の道を歩んでも、それまでに自己複製によって作り出されている分身の幹細胞が代わって仕事をしてくれます。これは幹細胞が自己複製力によって自らを常に新しく作り変えていることであるので、米国国立衛生研究所の幹細胞報告(*)では「自己更新(力)」という言葉を使ってよりダイナミックに表現しています。
*Stem Cell Report, 現在その全文の翻訳が進行中で、翻訳済みの要約や章がこの「研究解説」欄に掲載されています。

 以上のように、幹細胞は自分と同じ分身のような細胞を生み出す自己複製能力と、多種多様な細胞を生み出す多能性を備えた親玉のような細胞ですが、このユニークな存在の幹細胞には、「胚幹細胞」と「成体幹細胞」の2種類が知られています。
 
       
 
幹細胞の種類-胚幹細胞と成体幹細胞
 胚幹細胞(embryonic stem cell)は、胚性幹細胞またはES細胞とも呼ばれ、卵子が精子と受精してできる若い胚(=胚盤胞)[1]の中に存在する内部細胞塊[2]と呼ばれる細胞の集団を取り出してきて、人工的に培養して作られます。胚幹細胞について特筆すべきは、その「多能性」で、分化によって筋肉細胞、皮膚細胞、血液細胞、神経細胞といった身体を構成するあらゆる種類の細胞に成長可能です。このため新聞記事や一般向け解説書では、これを「万能細胞」と呼んでいますが、研究者や専門書は「多能性」という言葉を使っています。

胚盤胞と内部細胞塊


もう1つの成体幹細胞(adult stem cell)は、その名の通り成体の組織内に存在する幹細胞です (*)。これまで骨髄や血流、目の角膜と網膜、肝臓、すい臓などで成体幹細胞が発見されています。成体幹細胞も自分の分身を生み出す「自己複製力」と多種多様な細胞を作り出す「多能性」を備えています。
[*体性幹細胞とか組織間細胞とも呼ばれます]  

       
成体幹細胞の多能性と柔軟性
 成体幹細胞の多能性については、これまでそれぞれの成体幹細胞が存在ないしは所属する生体組織や臓器(たとえば、骨髄、肝臓、すい臓)を構成するあらゆる細胞を作り出すことはできるが、それ以外の生体組織・臓器の細胞へと分化・成長することはできないと考えられていました(→限定的多能性)。すなわち文字通り所属組織の仲間内の細胞には分化するが、 関係のないよその組織の細胞までは作らないとされていました。    
 

 ところが最近になって、骨髄中に存在する造血幹細胞が、血液関連の細胞以外にも神経や 肝臓、筋肉の細胞に分化・成長することがわかってきました。これ以外にも成体幹細胞が所属組織以外の細胞に分化・成長する例が次々と報告されるようになり、研究者はこの現象を成体幹細胞の「可塑性」と呼んで注目しています。「可塑性」という言葉は、一般人にはわかりにくいし、誤解されるおそれがあるので、わたしは「柔軟性(=変身可能性)」という言葉を使っています。

 ここで整理をすると、幹細胞の「多能性」とは多種多様な細胞に分化・成長できる能力ですが、「柔軟性」とは幹細胞の1種である成体幹細胞が所属組織以外の細胞に分化・成長できる能力のことを言います。

幹細胞の多様性-分化


新陳代謝と成体幹細胞-幹細胞系組織
 脳や筋肉の細胞は別として、身体を形づくっている細胞のうちのあるものはさまざまな形で新陳代謝を繰り返しています。すなわち分化を終えて成熟した細胞が一定期間その役割を果たして死滅し、すると若い細胞が分裂・増殖してこれを補います。このような新陳代謝によって新 しい細胞が絶えず作り出され、古い細胞に取って代わることで、生体の組織や臓器の働きが支えられていますが、新陳代謝を行う生体組織は幹細胞系組織と呼ばれます。幹細胞系組織には、血液、皮膚、毛があります。たとえば人間の血液を例に取ると、毎日数千億個もの血液細胞が新たに作られ、古い血液細胞と入れ替わって新しい血が作り続けられています(→造血作用)。このすべての血液(細胞)を作り出しているのが造血幹細胞と呼ばれる幹細胞です。皮膚も表の古い細胞がはがれ落ちて新しい細胞に日々入れ替わっています。精巣も幹細胞系組織に属します。

皮膚組織の新陳代謝


 幹細胞系組織では、新陳代謝を続けるために活発に増殖する細胞集団から分化し終えて成熟した細胞集団までいくつかの異なる集団に分けることができますが、これらの集団よりも っと前に控えている元祖ないしは親玉とも言うべき未分化の細胞が成体幹細胞です。成体幹細胞はあまり分裂をしないことが普通で、必要なときが来るまで控えている(=未分化の状態)と考えるのが適切です。

成体幹細胞の居場所-ニッチ
 前述のように、骨髄や血流、目の角膜や網膜、肝臓、すい臓などに成体幹細胞が存在することはわかっているのですが、問題はそれらが「どこに」存在するかです。細胞が成体内で活発に分裂・増殖して大きな集団をなしている場合には見つけやすいのですが、幹細胞は分裂せずに未分化の状態にとどまっているため数が極端に少なく、どこに存在するのかその存在場所がわかっている生体組織は、次に述べる例を除いて皆無に近いのです。例えば、血液は幹細胞自体を調べるためのさまざまな方法が開発された結果、骨髄の中から幹細胞を取り出すことができるようになった(ただし、全体の0.0 1 %ぐらいしか存在しない)のですが、それが骨髄中のどこに存在しているかは今もわかっていません。

 ところで、その数少ない成体幹細胞が分裂せずに未分化の状態にきちっと維持され、活性化されて分裂・分化を開始するときを待っている、すなわち出番の来るのをじっと待っている現象を説明するため特殊な場所を想定し、そこでは未分化のまま幹細胞としての性質を維持できるが、いったんその環境から離れると分裂・増殖から分化へと後戻りの出来ないコースをたどることになると考えられています。そして、研究者たちはこの幹細胞を支える場所を「ニッチ」と呼んで、それが生体組織中のどこにあるのか、ニッチが幹細胞を維持するために必要と している分子基盤は何かについて研究を続けています。しかし残念ながら分子基盤が明らかになったニッチは現在のところ皆無で、またほとんどの組織でニッチの存在場所すら明らかになっていませんでした。

[余談ですが、ニッチという言葉は、経済分野では「大企業が手をつけないニッチビジネス (すき間ビジネス)を狙え」とか、「ニッチ産業(すき間産業)」のように使われていますが、英語の"niche"には「人や物が存在するのに適した場所」という意味があります。そこからニッチのことを「生態学的適所」と呼んでいる研究者もいます。幹細胞が活性化の信号を受けて分裂・増殖・分化を始めるのを待っている場所と言うことでは、まさに「潜伏場所」のようでも あります。]

毛根幹細胞
 そんな中でも、毛を造る組織である毛根(専門用語では「毛胞」と呼ばれる)については急速に研究が進んでいます。毛根は、2種類の幹細胞が共存する面白い組織です。一つはもちろん、ケラチノサイトと呼ばれる毛(毛根)を作る幹細胞系です。誰でも毛は抜いても新しく生えてくるのを知っているし、自然の生え変りという新陳代謝もつねに存在しています。もう一つは、色素幹細胞系で、毛の新陳代謝に応じて増えたり、分化したりしながら毛に色素を供給します。

毛根幹細胞

 一本一本の毛根(1)で細胞が最も増殖するところは、最も深いところに位置する毛母(2:モウボ) と呼ばれる場所で、毛の生え初めでは顕微鏡で も細胞が増殖しているのがよく観察できます。こ のことから毛根を作り出す幹細胞は毛母(2)に存 在すると考えられていました。しかし、10年ぐらい前から毛根を作り出す幹細胞は、実はバルジ領域(3)と呼ばれる毛根の上のほうの少し横に飛び出した場所にあるのではと提唱されるようになりました(バルジに対応する英単語"bulge" は「丸く突出した部分」という意味です)。


 昨年になって聖マリアンナ大学の大島博士と、フランス高等教育院のバランドン博士等は、一本一本の毛根を切り分け、どの場所に新しい毛根を作る能力が存在するのかを調べる実験を行い、このバルジ領域と呼ばれる場所に存在する細胞が、新しい毛根を完全に再生できることを証明しました。両氏らの研究は、上記の長年の論争に終止符を打っただけではなく、 同じ細胞が表皮、汗腺、皮脂腺のすべての皮膚関連臓器を再生する能力(=多能性)を持つこと、すなわちこれが成体幹細胞であることも証明し、大きな衝撃を与えました(論文は2001年発行Cell誌に掲載)。両氏等の研究によって、ケラチノサイトと呼ばれる毛根形成細胞が成体幹細胞の1種であることが証明されるとともに、成体幹細胞としてはその存在する場所が初めて明らかにされたのです。

色素幹細胞
 そしてもうひとつ残っていた毛根内の色素幹細胞とその存在場所が理化学研究所と京都大学のグループ(西川教授)の研究により解明されました。その研究論文「色素幹細胞の命運決定におよぼすニッチの決定的役割」は、Nature 誌4月25日号に掲載され、日本の各紙にも関連の記事が載りましたのでご記憶の方も多いでしょう。

色素細胞


 このチームは、ほんの少し混じっているだけの色素細胞を感度よく見つけられるようにした遺伝子改変マウスと、増殖している色素細胞を殺してしまう抗体の二つの道具を使って、バルジ領域(3)のすぐ下の領域=バルジ下領域(4)に色素細胞の幹細胞が存在することを突きとめました。

色素幹細胞


 この色素幹細胞はバルジ下領域(4)のニッ チとおぼしき場所に潜んでおり、いったん活性化信号を受け取ると分裂・増殖を開始して多数の子細胞を作ります。この増殖する子細胞は、バルジ下領域(4)から毛根部分を上下二手に分かれて移動します。

 一方の子細胞グループは、分裂・増殖しながら下向きに移動して毛根の底に位置する毛母(2)に降りて行き、そこで色素細胞に分化・成熟してメラニン色素を毛に供給します。その後はアポトーシス(細胞消滅)によって死滅しますが、これによって黒や茶といった色のついた体毛が現れます。

他方の子細胞グループは、同じように分裂・増殖しながら毛根内を上向きに移動して、皮膚の最も外側にある表皮(5)に達し、そこで色素細胞に分化・成熟して色素を皮膚に供給します。この色素細胞も役割を終えるとアポトーシス(細胞消滅)によって死にますが、これによって皮膚が茶色や黒といった色に着色されます。つまりこの色素幹細胞が、毛の色素細胞や皮膚の色素細胞に分化しているのです(→多能性)。

 重要かつ興味深いのは、幹細胞の分裂・増殖によって生まれた子細胞の一部は、バルジ下領域(4)にある親元のニッチからこぼれ出て、空きニッチを捜し求めて移動することです。このさ迷える子細胞が、首尾よく空きニッチを見つけてそこに身を落ち着けると、再び幹細胞の性格を取り戻すことも明らかになりました(→自己複製力)。何か親元を追い出された子供が空家を捜して独立するような趣がありますが、子細胞が独立して一人前の幹細胞に成長するには、ニッチに入り込むことが必須の条件と考えられています。

 ところで、栄えて幹細胞の資格を得た子細胞も親玉幹細胞と同じように子細胞を生み出し、その子細胞は、前述のように増殖しながら一部は毛母(2)に降り、一部は表皮(5)に達して色素細胞に分化・成熟 し、毛および皮膚にそれぞれ色素を供給 します(→色素幹細胞の多能性)。さらに一部は、空きニッチを捜し出して入居し、 そこで幹細胞に出世します(→色素幹細胞の自己複製)。このように非常に興味深い細胞現象が毛根で繰り返されている のです。

 ここで重要なことは、親玉幹細胞が生み出した多数の子細胞のうちでうまくニッチに入り込むことができた子細胞だけが 2代目、3代目の幹細胞になれることで、 そのことから幹細胞に出世できるかどうかの命運をニッチが握っていることがわかります。また、ニッチが子細胞に何らかの影響ないしは作用を及ぼしていることも十分考えられます。

いずれにせよ、この研究は、研究者たちが幹細胞を支える場所として想定した「ニッチ」が確かに存在することを初めて証明したことで注目を浴びています。

 今後の研究課題は、ニッチがどのような形をしているのか、あるいはそもそも形のある物理的な空間であるのか、それとも機能的な何かであるのか、そこに入りこんできた子細胞に幹細胞としての性質や能力をあたえているものの正体は何か、さらにニッチを支えているものは何かといったことがらを分子レベルで解明することですが、この研究はそのような次なる研究への扉を開けた点に大きな意義があります。色素幹細胞についてこれらのことがらが分子レベルで解明できれば、血液幹細胞(=造血幹細胞)を支えている分子メカニズムなども理解で きるようになるかもしれません。

 このような大きな期待を抱きながら、地道で絶え間のない研究が幹細胞についても今日も続けられています。

ニッチ論文のアドレス

http://www.ibri-kobe.org/trc/cont/00_www/in-depth/niche/02.html
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